個人的な動機昨年末に私の初めての著書である「日本人の精神風土の起源」を出版しました。そして二冊目の本の原稿を書きました。 これは一冊目の続きで江戸時代から現代までを書き、私の結論(日本人への提言)も付け加えたものでした。 この江戸時代から現代までの歴史の部分は、今までこのブログに書いてきた内容と同じです。 ところがこの原稿を読んだ人から、「インパクトに乏しい」というコメントを頂いたのです。 日本人の特質の分析はしてあるが、結論の部分が弱いので、「このままの状態で日本が進んでいけばどうなるか」という衝撃的なことなどを書けば良いというのです。 そこで私は考え込んでしまいました。 私は預言者ではありませんから、未来予測などしたくありません。 そもそも未来予測など当たりません。 未来が正確に予測できるのであれば、多くの人がビルゲイツ以上の金持ちになれます。 一方、私はプロの歴史家ではありませんから、ただ過去の事実を分析するだけというのでは、わざわざ本を書く意味がありません。 別にプロの歴史家が歴史の流れの全体を理解しているという意味ではありません。 プロの歴史家より、様々なことを多角的に考えている思想家のほうが歴史の流れを大局的に捉えている場合が多いのです。 そうは言っても、一つの民族の歴史の流れの全体を偏りなく理解することは、どんな人間にも不可能です。 結局、歴史というのは著者の生い立ち・経験・立場などを色濃く反映した主観的なものなのです。 だから時代が変わり「常識」や世論が変われば、歴史書の内容も変わってしまうのです。 また、立場が変われば同じ事件の解釈も正反対になってしまいます。 今、日本と支那・朝鮮の共同で近代史を研究しようという試みが為されているようですが、これは歴史の本質を知らない者がすることです。 誰が見ても「客観的」な歴史などあるはずがないのです。 こう考えた私は、自分の経験・立場を明らかにした上で自分なりに理解した日本を書こうと思いました。 読者は、私の書いたものを参考にして自分で考えを深めていけばそれで良いのです。 当然こういう考え方で書かれた歴史は「主張」があるので、あちこちに配慮して中身を薄めたものとは違い、強烈な匂いを持っています。 こういうものを書こうと思い直したのです。 私は両親が日系人なので、家庭生活を通じて日本人の思考パターンを経験しました。 その一方、受けた教育はアメリカ式だったので、ヨーロッパに起源を持ちキリスト教の影響を色濃く受けたものでした。 子供の頃から、この二つのまったく別の発想は平行線をたどったままで、矛盾なく融合させることの出来ないものだと感じていました。 社会に出てからこの二つの違いをいっそう強く感じるようになりました。 また、私が極めて特殊な立場にいることにも気がつきました。 ヨーロッパからの移民ではありませんから、ヨーロッパ文化に対する思い入れが無いのです。 また日本の伝統的な「儒教教育」とも無縁でしたから、支那や朝鮮に対する思い込みからも自由でした。 私が支那や朝鮮のことをひんぱんに書くのも、日本人がこれらの国に対して間違ったことを教えられているからです。 支那に関しては、アメリカの持っている情報の方が日本のものよりずっと正確で詳細です。 ただ日系人ということから日本への思い入れは持っていました。 そして幼い時から、日本に関して出来る限りのことを知ろうと努めてきました。 私が学校を卒業し社会に出たときの日本というのは、非常にエネルギッシュでアメリカの脅威になっていました。 しかし、その時に私が日本から受けた印象の全てが良いというわけではありませんでした。 日本の企業からアメリカに派遣されてきた中年の日本人と仕事上の付き合いがあったのですが、彼が東京の本社に帰任することになりました。 そのとき、彼の子供である高校生の息子と娘が日本に帰ることを嫌がったのです。 結局、彼は高校生二人をアメリカに残したまま日本に帰っていきました。 この子供二人はアメリカに住み着き今でもアメリカで暮らしているはずです。 子供たちは数年前まで暮らしていた日本と今暮らしているアメリカを比べてアメリカを選んだのです。 彼らの家庭は決して貧しいわけではなく、日本に帰っても平均以上の生活は出来るはずです。 ですから経済的理由で日本に帰るのを嫌がるわけではありません。 また生活の便利さという点でも日本とアメリカでそう大きな違いがあるわけでもありません。 結局、文化的な背景の違いとしか考えられないのです。 この時あたりから、私の日本文化への関心が強烈になっていきました。 二人の日本人高校生が日本よりもアメリカでの生活を選んだという話を私は知り合いの日本人にしました。 そして分ったのは、こういうケースは日本人駐在員社会ではまま起こる現象で、決して特殊なものではないということです。 アメリカの高校の生活に慣れてしまうと、日本の学校の服装や髪型への規制をどうにも納得できなくなってしまうのです。 また親は日本の大学への進学に備えて、日本式の受験勉強も子供たちにさせていますから、それへの反発もあります。 日本の文化の特徴の一つは、「型にはめる」ということです。 自然界に存在するものは全て形をもっているから、蚊が血を吸い、馬が草を食べるように人間として従わなければならない形があるというものです。 また原則から導き出したルールではなく、関係者の納得を得るやりかたは、相当高度な技能を要求される面倒くさいものです。 ルールを守ってさえいれば後は何をしても良いという気楽さがないのです。 こういったことに対して、個性的な子供は大いに反発するわけです。 実は日本の大学に進学するか、アメリカにするかというのは決定的に重要な選択なのです。 日本の大企業の大部分は外国の大学を卒業した者を正社員にしないからです。 運命共同体である企業の中のしきたりを守らないと仲間内の結束にヒビは入るので異分子を入れないのです。 アメリカの大学院を卒業したものを採用せずに、わざわざ日本の大学を卒業して会社に就職したものをアメリカの大学院に派遣するのも同じ理由です。 親はこのことが分かっていますから、深刻な家庭内紛争が起きるのが常です。 結局、自然に日本人になるのではなく、日本の家庭や学校が日本人に仕立て上げるような教育をしているから、日本人が出来上がっていくのです。 ある中年の日本人の駐在員は、「私も若かったら日本に帰らないかもしれない。しかし今は日本の方が良い」と私に言っていました。 彼は日本でそれなりの地位を築いているので、いまさら新しいことをしたくないと考えたのでした。 当時私はこの事件の本質を理解できませんでした。 どこの国でも若い人は自分の生まれ育った環境を嫌がり、新しい世界を求めるものだと思っていたのです。 日本の経済は1980年代後半に最高潮に達し、有り余るお金で世界中の資産を買うようになりました。 その国の有名な建物や美術品というその民族の誇りのようなものまで買って、現地人の顰蹙を買う事態にまでなりました。 そして日本の企業がなぜ強いかという分析がアメリカで盛んに行われ、終身雇用と年功序列・集団主義が良いのだということになっていきました。 今では信じられないかもしれませんが、アメリカでも「日本的経営」がもてはやされ、アメリカにも日本と同じ終身雇用や集団主義は存在するのだという学者まで現れたのです。 そして多くのアメリカ人の青年が日本にやってきて日本の企業に勤めたり、日本を相手にビジネスをしたりするようになりました。 このころの東京の大企業のオフィスでは、外人が多く目につきました。 しかし実際に日本経済が一番力強く、いろいろな大胆な挑戦をしていたのは1070年代半ばまでで、その後の10年はその惰性だったのです。 例えば、日本企業の海外拠点は1970年代前半に設立されたものが非常に多いのです。 そして経済成長のスピードが落ちた日本は産業資金の需要が減ってきたので、余ったお金が不動産投資に向かいバブルになったのです。 1985年のプラザ合意という円高誘導政策はそのきっかけにすぎません。 実際の産業の力強さとその成果を享受することとの間に10年間のギャップがあったのです。 このギャップをバブル期の日本人自身が感じていたようでした。 当時の日本人は自分たちの経済的成功によって余裕のある態度でした。 しかし現状の成功は自分たちが予想していたことをはるかに超えており、何でここまで成功したか理由が良くわからないと個人的に私に話してくれた人も何人かいました。 彼らが社会人になったのは1960年代で、若いときはそれこそ無我夢中で働いてきた人たちでした。 そして入社から20年経って昔を懐かしむようになっていて、酒を飲んでは若いときの苦労話を私に聞かせました。 その苦労話をいかにも楽しそうに話すのです。 1960年代に社会人になった日本人が無我夢中で働いたのは1970年代までで、その後は昔話をするまでに緊張が弛緩してきたのです。 そして彼らの子供たちは親の生き方に共感せず、日本で生活するのを嫌がるまでになってしまったのです。 さらに親自身が子供の気持ちがわかったのです。 結局、日本の経済的成長のためや会社の為に働いて日本人が疑問を感じないという時代は長くなかったのです。 そして目的が達成された後は目的の喪失に悩むという状態になったのです。 豊かになろうとして必死に努力し、それが達成された後で自分の生き方を振り返るというのは誰でもすることです。 しかし日本人の過去を振り返る仕方が独特だと私は感じたのです。 アメリカ人には「自分は本来画家になりたかったのだ」と叫んで、年収数十万ドルの職を放り出しパリに遁走するなどというのが多いのです。 アメリカ人の疑問は個人的な選択の問題で社会や文化に対する疑問というものではありません。 しかし日本人の場合は、目的そのものが喪失して出来た空洞が埋まらないという感じです。 そして自分の受けた教育や社会環境に疑問を感じてくるというものが多いのです。 大学を卒業しても就職をしようとしないモラトリアム人間というのも同じような疑問から出来たものでしょう。 彼らの何人かと話をする機会がありましたが、仕事をするのがいやだというわけではなく、会社という組織に入るのを嫌がっているのです。 アメリカでも雇われるということを嫌がる者は大勢います。自立すれば収入は増えるし人に命令されることもありません。 日本人の場合には更に特定の運命共同体に所属させられるのが嫌だという感情もあるようです。 また最近私の周辺で日本を脱出する中年が目立ちます。 余生を海外で過ごそうとして外国に移住する者が多いのです。 統計がありませんから正確な人数はわかりませんが、十万人単位だという説もあります。 言葉の問題や医療・治安など日本にはないハンディキャップがあるのですが、それでも日本にいるわずらわしさよりはましだと考えるのです。 スペイン・タイ・マレーシアなどは、このような日本人を受け入れて国の経済を発展させようとまで考えています。 この傾向が一部の特殊な日本人だけのことで大部分の日本人とは無縁のものなのか、それとも大部分の日本人の願望を実現しているのかは、今の私には判断がつきません。 しかしこの傾向がますます強くなっていることは事実です。 バブルがはじけて日本の活力が失われ、日本人が自信をなくし、日本の社会がしまりのないものに変わっていくのを私は見守ってきました。 やがてこれらの現象の根底にあるものが私に見えてきたのです。 日本人には世界観がなく、判断の基準は「あるべきようは」だということです。 社会や個人の間の関係はすべて相対的なもので、絶対的な価値から導き出されたものがないということです。 日本の目的とは、明治時代の日本の独立や戦後の経済復興などその都度臨時に設定され、使命を終えれば使い捨てられるようなものです。 この一時的な目的が達成されたあと、目的を見失い、社会の活力が失われ、実体の社会もそれに伴って崩れてくるわけです。 そして強力な運命共同体が自己の利益を最優先する動きを抑えられなくなってくるのです。 このようにして、いったん順調に発展した社会がまた崩れていくのです。 また前にもお話した日本人高校生のように、一旦日本から離れた日本人は、日本人であり続けるのが幸せかという疑問を感じるのです。 私は日本人が今の精神文化を持ち続けることが本当に幸せか大いに疑問を感じています。 「よそ者が大きなお世話だ}と言われればそれまでです。 また「日本は支那やヨーロッパのような専制政治もないし、残酷な宗教戦争もない、平和な国だ」という反論も出てくると思います。 「日本が嫌なら出て行け、来るな」というのもありそうです。 結局、面倒くさく、周期的に社会が崩壊するような精神文化を残すか、ダイナミックで自己責任が完結し、異文化とまともな交渉ができるほうを選ぶかという問題です。 この選択を一部の日本人は個人的なレベルで行いつつあります。 そして今後は日本人全体として、していかなければならない羽目に陥るのではないかと感じています。 私はこの日本人の選択に一つの参考資料を提供できたらそれで良いと思っています。 そして二冊目の本もこういう趣旨のものにしようと思うのです。 その本の原稿ができるまでは、私のブログはエッセイのようなものを時折書くようにしようと考えています。 |